「家族を大切にする国」って、そんなにすばらしいものでもない

世の中にたくさんある国の中には、
家族を大切にする国と、そうでもない国がある。
たとえば、おじいちゃんとかおばあちゃんが一緒に暮らしていて、
いつも助け合っているような家族がたくさんある国の話を聞いたりすると、
大人たちは感心して、「家族を大切にしなさい」なんて子供に言う。
確かに家族を大切にする国は、すばらしい国のように思えるけど、
お父さんやお母さん、それからお兄ちゃんにお姉ちゃん、
弟や妹は、世界にただひとりしかいないんだから、
家族が大切だなんてことは、当たり前のことだ。
そんな当たり前のことを大人たちがうるさく言うのは、
単に自分が家族を大切にしていないから、
それを自分で自分に言い聞かせているだけのことだ。
そもそも、家族を大切にする国というのも、
それほどすばらしい国でなかったりすることが多いんだ。
というのも、なぜそういう国が家族を大切にするかというと、
家族以外に頼れるものがないからだ。
たとえば、無理難題ばかり言いつけてくる王様とか将軍様がいて、
多くの人がそれに悩まされているような国は、
家族同士がよりそって生きていかなくちゃならない。
そういう国は、友達とか仲間といわれるような人たちも、
お互い足を引っぱりあって生きていて、
いつだまされたりするかわからない。
困ったときに助け合えるような相手が家族しかいないなんて、
すごく寂しいし、それは不幸なことだ。
結局、別に家族を大切にしなくてもいい国に住んでいながら、
それでも家族を大切にする生き方がいちばん幸せなんだ。

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国というものについて

世の中には、君たちが知らないたくさんの国がある。
大人たちの中にだって、全部の国を知ってる人は、すごく少ないはずだ。
ところでこの国というものが何なのかというと、これがけっこう説明がむずかしいんだ。
というのも、同じことばをしゃべっている人たちの集まりを国と呼ぶかというと、
そうではないし、同じ神様を信じている人たちの集まりを国と呼ぶかというと、
そうでもない。
同じ国なのに、バラバラのことばをしゃべっている国はたくさんあるし、
同じ国なのに、信じている神様がバラバラだったり、
神様を信じている人と信じていない人が一緒の国に住んでいるということは、
よくあることだ。
けっきょく、国というのはバラバラな人たちの集まりということになる。
言ってしまえば、住んでいる土地によって国が決まるかともいえるけど、
住む土地を持たない国もあったりするからややこしいんだ。
国と国の境も、高~い塀が建ててあって、がっちりと仕切られているかというと、
別にそうでもなくて、君たちが住んでいる町の家と家の境目とかわらないような
仕切りもあったりして、あんがいいいかげんにつくられているもんなんだよ。
そこで、いきなり国についてかんがえるんじゃなくて、
もっと小さな人と人との集まり、そう家族をきほんに考えてみよう。
家族といえば、君たちのお父さんとお母さん、それから兄弟姉妹がいる。
おじいさんやあばあさん、それから叔父さんに叔母さん、
イトコなんかの親戚をそれにいれてもいいね。
小さな人と人との集まりである家族が集まると、町になる。
町ということになれば、君の友達もその中にふくまれるし、
近所のパン屋さんや肉屋さん、学校の先生やお巡りさんなんかも集まりの中に入ってくる。
ただ、町は家族よりずっと大きな集まりだから、君たちがまったく知らない人も、
ずいぶんその中には含まれてくるだろう。
その町が、さらにたくさんたくさん集まって、国というものはできている。
もちろん、町という集まりの中にも君の知らない人がずいぶんたくさんいるんだから、
それが国ともなれば、ほとんどが知らない人ばかりだと言っていいだろう。
つまり、人と人のつながりというのは、国という集まりの中から見ると、
ずいぶんうすいものなんだ。
ちなみに大人たちは、自分がある国の中のいちいんであると言われると、
あまりいいきもちがしないらしくて、自分の国の悪口を言ったりする人も多くいる。
でも逆に、旅行をして国をはなれたり、あるいは他の国に引っ越したりすると、
とたんに生まれ育った国をほめだしたりするんだ。
とにかく国というのは、そんなふうに人と人の集まりではあるけれど、
おたがいのことをよく知り合っている人たちばかりが集まっているわけではないので、
たとえば「せんそうはよくないからやめよう」なんてことをみんなが思っていたとしても、
なかなか思ったことをじっこうできないでいるんだ。
もっとも、すべての国の人が、同じことをかんがえたり、思ったりして、
それをじっこうできるような国があったとしても、
そういう国にかぎって、とたんにせんそうを始めたりするから、
ますます国というものはわかりにくいんだ。

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セックスって何だ? 2

大人がセックスをするのは、
「子供をつくるため」ということは前に教えたけど、
子供をつくるつもりじゃなくても、大人たちはセックスすると書いたよね。
それがなぜなのか、ここで説明しておこう。
それは、「気持ちがいいから」だ。
カサブタをはがすとき、ついつい気持ちがよくて、
はがすのをやめられなくなっちゃうだろ。
あれと同じさ。
セックスはたいていの場合、
「おちんちん」と「おまんこ」を使う。
子供は、「おちんちん」も「おまんこ」も、
おしっこをするためだけにあると思ってしまうけど、
それはしかたがない。
なぜなら、子供の「おちんちん」や「おまんこ」は幼いので、
セックスをするにはじゅうぶんではないんだ。
大人になると、「おちんちん」や「おまんこ」が成長して、
セックスができるようになる。
大人の「おちんちん」は、セックスをする前になると、
大きくて固くなる。
大人の「おまんこ」は、セックスをする前になると、
穴の中からヌルヌルした液が出てくる。
で、大きくて固くなった「おちんちん」を、
ヌルヌルした液が出てきた「おまんこ」に入れて、
刺したり抜いたりするのがセックスだ。
簡単だろ? そんなにむずかしいことをしているわけではないんだ。
刺したり抜いたりすると、「おちんちん」と「おまんこ」は、
どちらも気持ちよくなってくる。
そして、「おちんちん」から「せいし」という白い液が出てくれば、
セックスはひとまず終わりだ。
「おちんちん」から出てきた「せいし」は、
「おまんこ」の奥のほうにある「らんし」と結びついて、
「赤ちゃん」ができる。
でも、セックスするたびに赤ちゃんができてしまっては困るので、
大人たちは、「せいし」が「らんし」と結びつかないように、
セックスするときに「おちんちん」をゴムで包んだり、
セックスをする前に「らんし」ができないような薬を飲んだりする。
「せいし」ができなくなる薬はまだはつめいされてないようだ。
ただし、「せいし」を作る「きんたま」からのパイプを切る方法もあって、
わざわざシュジュツを受ける人もいる。
とにかく、「子供ができないためのセックス」をするために、
大人たちはいろいろな努力をしているんだ。
それもこれも、気持ちいいセックスをするためだ。
子供には「なんで大人たちはそんなことをするんだろう」と、
さっぱりわけがわからないだろうが、
とにかく、そういうわけがわからないことに、
いっしょうけんめいになるのが大人というものなんだ。
あと、大人たちの中にはセックスのときに、
うんちをするときの「こうもん」を使ったりする、
「ヘンタイ」もいるんだけど、「ヘンタイ」については、
またいつか、別のきかいに説明するとしよう。

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お酒って何だ?

子供にとって、りかいできないことのひとつに、
大人たちがよくお酒をのむというのがある。
お酒をちょっぴりてもいいからナメてごらん。
中には甘いお酒もあるようだけど、
たいていのお酒は、にがいし、まずい。
なのに、なぜ大人たちは、にがくてまずいものをのんでいるんだろう。

お酒というのは、くだものやお米、ムギとかをくさらしてつくる。
大人たちはバイキンをきらうけど、
くさるということは、ものにバイキンがつくということだ。
ものについたバイキンは、せっせとものを食べて、
うんちみたいなものを出す。
そのバイキンのうんちがたくさん集まると、お酒ができる。
お酒には、バイキンが出したうんちがいっぱいはいっている。

君たちはお酒をのんだ大人たちを見たことがあるかい。
お酒をのむと、気分がよくなって、歌をうたったり、笑ったりする。
あるいは急に泣いたり、怒ったりすることもある。
ひとつのことを集中してかんがえることもできなくなるし、
うまくことばをしゃべれなくなる。
足もふらついて、まっすぐあるけなくなる人もいる。
ようするに、お酒をのんだところで、いいことはあまりないということだ。

だけど大人は、お酒をのむのをなかなかやめようとしない。
なかには、やめたくてもやめられない大人もおおぜいいるんだ。
バカだなあと思うけど、思うだけにしておいたほうがいいよ。
とくに、お酒をのんでいる大人にはね。
なぜって、そんなことをいわれたら、
大人はきっと怒りだすにちがいないからね。

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バカとかリコウとかいうことについて

大人たちはよく子供に「勉強しなさい」という。
だけど、その理由はいくつもあって、はっきりしない。
たとえば、「バカになってしまうから」とか、
「ビンボーになってしまうから」とか、
「いい人間になれないから」とか、いろいろ。
だいたい、それをいってる大人も、その理由についてはあまりかんがえていないことが多いんだ。
そもそも、勉強しないと本当にバカやビンボーになってしまったり、いい人間になれないかというのもあやしいもんだ。
だって、そんなことをいってる大人たちがバカみたいなことをやっているからだ。
みんなは自動車がガソリンを燃やしてはしっているのを知っているだろ。
だけど、ガソリンを燃やすと、人が死んでしまうくらいのモウ毒が出るんだ。
つまり、大人たちは自動車をはしらせるたび、まちにモウ毒をまきちらしているんだ。
もちろん、大人たちはそれを知らずにそんなことをやっているのではなくて、
そのことを知っているのにそれをやっている。
ガソリンを燃やすのをやめようという大人はあまりいない。
こんなふうに大人たちは、バカなことをどうどうとやりつづけているってところがある。
笑っちゃうけど、子供のころ、ものすごくたくさん勉強した大人でも、それは同じなんだ。
だから、「勉強しないとバカになる」という大人たちのことばは、あまりしんけんにかんがえないほうがいい。それこそ、大人たちみたいにバカになっちゃうからね。

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セックスって何だ? 1

たとえば、コップにはいっているジュースをのむときをそうぞうしてみよう。
そのとき君たちは、それを口じゃなくて耳にいれようとしたり、
わざとテーブルにこぼしてそれをナメるようなことはしないだろう。
あと、頭にジュースをかけてベトベトになるのをたのしんだり、
本当は今すぐにでもジュースをのみたいのに、わざとのまずにガマンするとか。
でも、大人たちはそんなバカみたいなことを、ときどきすることがある。
セックスをするときは、とくにそうだ。
君たちもちょっとくらいは気がついていると思うけど、大人たちはセックスがすきだ。
でも、なぜそんなにセックスがすきなのかなんて、聞いちゃいけない。
大人たちだって、うまく答えられないはずだ。
それには、これといった理由はないんだ。
でも、なんのためにセックスをするかということについては、ちゃんとした理由がある。
それは、「子供をつくるため」だ。
だからホントは、セックスをして子供ができたら、あとはずっとしなくてもいい。
それでも大人はセックスをやめない。
さっき、コップのジュースのたとえ話をしたように、ただジュースをのむんじゃなくて、
いろんなバカみたいな方法をためしたりしてセックスをつづける。
でも、大人たちがセックスをするのは、たいてい夜だから、子供たちにめいわくがかかることはそれほど多くはない。
だから、「大人たちは、なんでそんなにセックスがすきなの」なんて聞いて、大人たちをこまらせないようにしよう。
大人たちがセックスでどんなことをやっているかは、またきかいがあったらくわしく教えるよ。

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大人はなぜ、子供がゲームをしてると怒るのか

大人たちはよく、「ゲームをしてはいけない」という。
だけど、なぜゲームをしてはいけないかについて、うまい説明はしてくれない。
というか、大人たちはそれをうまく説明することができないんだ。
もっとも、大人たちのほうでも、そのために努力はしているようだ。
たとえば、ゲームをやると脳がばかにになってしまうとか、
あるいはゲームの世界と本当の世界とみわけがつかなくなってしまうとか、

いろんないいわけを考えている。
笑ってしまうけど、大人たちだって、そういう説明をほんきで信じているわけではないんだ。
大人たちが、「ゲームをしてはいけない」という本当の理由は、ゲームをしている子供を見るのが気にくわないからだ。
君たちにもおぼえがあると思うけど、「なんとなくシャクにさわる」ってヤツだ。
学校で、気にくわないヤツをいじめるのとあまり変わらない。
じゃあ、子供たちはそういう大人をあいてにどうすればいいか。
答えはかんたんだ。
大人たちは子供がゲームをやるのが気にくわないんだから、大人たちがよろこぶように、いうとおりにゲームをやめて、あとで大人たちが見てないところでまたゲームをやればいい。
たいした説明もできないのに、子供たちにゲームをやるろなんていうのはおかしい、といいかえす方法もあるが、大人たちはますます怒って子供たちをいじめてくるだろう。
ここでは、楽しいじかんをすごすために、大人たちがジャマしてくるのをうまくやりすごすことが大事なんだ。

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お金って何だ? その2

よく大人たちは「お金がない、お金がない」と言って、もっとたくさんのお金があればいいなぁということをよく口にしている。
だけど、その大人が本当にお金のない人なのかというと、実はそうでもないことが多いんだ。
よく見てみればわかるけど、1億円とか、10億円といったたくさんのお金をもっている人でも、やっぱり「お金がない、お金がない」と文句を言うからね。
お金は大人たちにとって、いくらあっても足りないものなんだ。
さて、前に僕は、「おかしを食べたいと思ったら、500円玉が一個あれば、たいていのおかしが手に入る」と君たちに教えたね。
だけど、もっとたくさんのお金がないと買えないものは世の中にたくさんある。
たくさんのお金って、一体、どれくらいだろう。
家を買うには、安いヤツでも1万円札が3千枚くらいないと買えないという話はしたけど、お金の単位でいえば、それは3千万円ということになる。
3千万円のお金と言えば、1円玉なら3千万個にもなって、それはすごく重いし、場所をとる。
お札というのは、お金を軽くして、場所をとらないように発明されたものだけど、それにしたっていちばん大きなお札の1万円も、3千万円にするには3千枚もひつようなんだ。
だから大人たちは、大きなお金をもっと軽く、場所をとらないようにする方法を発明した。
その方法とは、紙に「3千万円」と書いて、それを「お金」とする方法だ。
その方法だと、3千万円をあつめるのに、3千万個の1円玉も、3千枚の1万札もひつようないんだ。1枚の紙に「3千万円」と書くだけですむんだよ。
子供の君たちには、まだ意味を知らないくていいけど、その一枚の紙は、「よきんつうちょう」とか「こぎって」とか、いろいろな名前がついている。
でも、家とか人間を買えるようなたくさんのお金を、1枚の紙に書くだけですましちゃうなんて、子供の君たちはちょっと不安に思うんじゃないか?
実は、大人たちだって、心の底では不安なんだ。
だけど、たくさんのお金を貸したり借りたりするためには、コインやお札をつかうのは大変だから、その不安をかくしながら大人たちは「お金」を紙に書いてやりとりしている。
たぶん、そこでまちがいが起こったんだろう。
いつのまにか大人たちは、ただ紙に書いただけの「お金」のほうが便利だからと言って、それをどんどんつかいはじめたんだ。
そして「お金」は、コインやお札のように手にとって数えたり、重さをはかったり、においをかいだりできないようになってしまったんだ。
それでどうなったかというと、大人たちはいつでも「お金がない、お金がない」と言うようになるわけだ。
どんなにたくさんの「お金」も、1枚の紙になってしまうんだから、いくらあっても足りない気がするんだね。
1億円とか、10億円といったたくさんのお金をもっている人でも、やっぱり「お金がない、お金がない」と文句を言うのはそういうわけさ。
もっとも、大人たちだって、スーパーで夕食の買い物をしたり、自動販売機でジュースやタバコを買ったりするときにはコインやお札をつかうけど、紙きれ1枚でたくさんのお金をやりとりするときには「借りたお金をちゃんと返せるんだろうか」とか「貸したお金をちゃんと返してもらえるんだろうか」と不安に思っているんだよ。

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お金って何だ? その1

大人になると「お金」をかせがなきゃいけない。
大人たちは、決まって子供にそんなことを言う。
だけど、大人たちだって、「お金」というものが何なのか、あまりわかっちゃいないんだ。
「お金」というのは、前に説明した「仕事」をすることでもらえるものなんだということくらいは、子供の君だってわかるだろう?
だけど、そもそも「仕事」が何なのかわかっていない大人たちに「お金」のことがわかるはずがない。
子供にも大人にもなれないハンパな「オトナコドモ人」は、そこのところが特に、テッテー的にわかっていない。
では、「お金」ってホントは何なのだろう?
もし君が、おこづかいをもらっているなら、その「お金」をよ~く見てみよう。
「お金」にはいろんな種類がある。
いちばん小さいお金は1円玉で、その次に5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉と数字が大きくなっていく。
ここまでの「お金」は、丸くて固くて冷たいコインの形をしているけど、そこから先は、顔がかいてある紙のお札になる。
お札は千円札と5千円札、1万円札の3つの種類がある。
おかしを食べたいと思ったら、500円玉が一個あれば、たいていのおかしが手に入る。
そういうことを「買う」っていうんだけど、おかしだけじゃなくて、世の中にあるたいていのものは、お金で買うことができる。
家だって、1万円札が3千枚くらいあれば安いヤツが買える。
むかしは人間もお金で買えたんだけど、今はそれはできないことになっている。
だけどお金をたくさん持っていれば、お金のない人にいろんなことを命令できたりするので、言いかたによっては今でもお金で人間を買えるんだ。
でも、やっぱり家とか人間を買うには、たくさんのお金がないと買えない。
たくさんのお金を手に入れるには、少しずつためていく方法と、自分よりたくさんのお金をもっている人に借りるという方法がある。
かんたんなのは、少しずつためていく方法だけど、それには時間がかかるから、大きなものを買おうという人は、たいてい人から借りる方法をつかう。
人からお金を借りるのはむずかしい。
なぜなら、お金を借りるだけ借りて、あとで返さないヤツがいるからだ。
そこで、お金を貸すことを「仕事」にする人たちがいる。その人たちは、たいてい「銀行」というところにいる人たちだ。
どうやったらお金を貸すことが「仕事」になるのかというと、その人たちは「利息」といって、借りたお金より少し多めのお金を返してもらうんだ。だから、「銀行」にいる人たちは、より多くの人にお金を貸すことでお金をかせいでいる。
まずは、そういうことを「仕事」にしている人がいるってことで、話を次に進めよう。

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仕事って何だ?

大人は子供に、「仕事をしろ」と言う。
君たちにも身に覚えがあるだろう?
大人たちが「大きくなったら何になる?」って聞いてくるアレさ。
そういう質問には、「ウルトラマンになりたい」とか「お嫁さんになりたい」とか答えておけばいいんだけど、君がだんだん大きくなると、大人たちはそんな答えではナットクしなくなる。
そう、大人たちの理屈では、大きくなればみんな必ず「仕事」をしてなくちゃいけない。
ここでひとつ、大人たちのヒミツを教えよう。
実は大人たちだって「仕事」というものについて何もわかっていないんだ。
前に言った、子供にも大人にもなれないハンパな「オトナコドモ人」は、特にそれがわかっていない。
むしろそれは、子供のほうがよくわかることだと僕は思っている。
説明しよう。
「仕事」とは、「ヒマつぶし」のことだ。
ヒマをつぶすのに、「これをしなきゃいけない」ということはない。つまりは「何でもアリ」だ。
それは、大人たちが「仕事だから」と言ってやっていることを見れば、すぐにわかる。
テレビでアイドルが歌をうたうのも「仕事」なら、おおぜいの人が乗っているバスを運転するのも「仕事」。料理をつくって人に食べさせたり、他人の家をつくったりしてもいい。
どんなことをしても、それは「仕事」なんだ。
それは、「ヒマつぶし」のために君たちがゲームをしたり、ナントカごっこをするのとまったく変わらない。
その証拠に、ゲームは「ヒマつぶし」にうってつけの道具だけど、あれは大人が「仕事」として作ったものなんだよ。
この話をナットクするのがむずかしいとしたら、君はたぶん大人たちに「仕事をしろ」と言われ過ぎて、頭がだまされているんだろう。
でも、「仕事」だからといって、好きなことを好きなだけやっちゃいけないということはないし、もちろん、イヤなことをイヤイヤやっちゃいけないということもない。
言いかえれば、それが好きなことでも、イヤなことでも「仕事」になるんだ。
なぜなら、どんなことをしても、それは「ヒマつぶし」になるからだ。
それだけ、世の中というのは、ヒマがたくさんあるんだ。
だから、大人たちに「大きくなったら何になる?」と聞かれたら、これからは「自分が好きなことをやる」って答えておくといい。
大人たちはそれでナットクしてくれるだろう。
だけど、どうせ「仕事」は「ヒマつぶし」と同じなんだから、君たち子供は、本当に「自分が好きなことをやる」なんて思いこんでしまってはいけないよ。
だって、それが好きなことでも、ずっとやりつづけていれば、そのうち飽きてイヤになってしまうことはよくあるからだ。
それでも世の中には、君がつぶしきれないほどたくさんのヒマがあるんだから、イヤになってもあまり文句を言わずにヒマをつぶしつづけるしかない。
「仕事」っていうのは、とにかくやり続けることが大事なんだ。
ちなみに、「オトナコドモ人」はそういうことがわからないから、「仕事」をする前は大人ぶって「イヤなことでもやります」なんて言うクセに、いざ「仕事」をしてみると急に「好きなことをやりたい」なんて子供みたいに文句を言いはじめる。
君たち子供は、そういうバカな「オトナコドモ人」には絶対にならないようにしよう。

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大人って何だ?

大人たちは、いろんなことを子供に向かって言う。
ときには、すごくいいことを言うときもあるし、悪いことを言うときもある。
おもしろいのは、いいことを言う大人がいつもいいことを言うかというとそうじゃなくて、いいことを言ったあとに悪いことを言ったりもする。
だから、君たち子供は、大人というのはみんな、いいことも悪いことも言う人だと思っていればいい。
どうせ大人たちは、自分が大人だってことをよくわかっていないのだから。
自分のことを大人だとも子供だとも思っていない「オトナコドモ人」は、そんなことを考えたこともないだろう。
「オトナコドモ人」が、どうしてそんなハンパな人間になってしまったかというと、子供のころ、大人になるのがイヤで、大人になったことに気づかないフリをしてきたからだ。
そのときそのときの都合で「自分は子供だ」と言ったり、「自分は大人だ」と言ったり、ズルいことをするのは、そのせいだ。
じゃあ、子供はいつになったら大人になるんだろう?
それは、自分のことを、誰の力も借りないで、自分でできるようになったときだ。
それは、成長するってことだと思う。
だから、あるていど成長したら、子供はいつでも大人になっていい。
別に20歳になったら大人だなんて、大人たちが勝手に決めた理屈にしたがわなくていいんだ。
自分で自分のめんどうを見れるようになったら、10歳だって、15歳だって、「僕は大人だ」って言ってもいい。だってそれは、本当の意味の大人なんだから。
もちろん、誰だってすぐには自分で自分のめんどうを見れるようになれるはずがないから、自分が子供だってことを恥ずかしいとか、バカなんじゃないかとか思うひつようはない。
自分がまだ子供でいたいときは、胸をはって「僕は子供だ」って言えばいいんだ。
さて、大人たちは相手が子供だとわかると、自分はえらいんだというたいどでえらそうなことを言う。
だけどじっさいのところ、その大人は本当にえらいんじゃなくて、えらそうなフリをしているだけってことが多いんだよ。
だから、自分が子供だからといって、大人たちの言うことを何でも正しいと思っちゃいけないよ。
子供のほうが正しいことだって、実はたくさんあるんだ。

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はじめに よのなかには、大人になれない子供がたくさんいるけれど

僕のことは、何と呼んでくれてもかまわない。
とにかく僕は、大人の世界から帰ってきた、君たちと同じ子供だ。
ところで君たちはよく、「大人にはなりたくない」なんて言うだろ?
だけど、そんなことを言うのがバカバカしいってことは、君たちだってよくわかっているはずだ。
なぜなら、時間がたつにしたがって、子供は自然に大人になってしまうからだ。
たぶん、タイムマシーンでも発明されて、僕らが過去の時間に行けるようにでもならなければ、それはさけられない話だろう。
だからといって、子供はだまって大人になればいい、なんて僕は思っていない。むしろ、子供が大人になるには、いろいろな準備がひつようだとさえ思っている。
大人になるための準備って何かって?
それは、大人というものが何かってことをよく知る、ということだ。
僕は、大人の世界を見てきた。
そこには、大人というものをよく知らずに大人になってしまった子供たちが、実におおぜいいた。
そいつらは、あるときは「自分は子供だ」と言い、あるときは「自分は大人だ」と言う。ようするに、自分の都合にあわせて子供だったり大人だったりするズルいヤツラだ。ヤツラはそもそも、子供にも大人にもなれないハンパなヤツなんだ。
そんなハンパな「オトナコドモ人」にならないためには、子供のうちから、大人になるというのはどういうことかをよく知っておくべきなんだ。
それが、大人の世界を覗いてきた僕の、まず第1のアドバイスだ。
僕は、いちどは大人の世界に行ったりしたけど、こうして君たちのためにアドバイスをしようと、また子供の世界にもどってきた。
だから、僕が「オトナコドモ人」じゃないということを信じてほしい。
そうだな、もし僕のことを名前で呼びたいなら、「オトナコドモ人」の反対で、「コドモオトナ人」とでも呼んでくれればいいよ。

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